移民資料室の設置目的 和歌山市民図書館 うろうろ和歌山
和歌山市民図書館移民資料室
https://wakayama.civic-library.jp/ja/immigrationlib
ご利用について
移民資料室はどなたでも利用いただけます。資料の貸出はできません。(資料の複写は可能)
資料について
所蔵資料/図書、雑誌/海外で発行された邦字新聞/新聞クリッ ピングなどの自館作成資料/マイクロ資料
慶応 2(1866)年、第 1 号パスポートが、曲芸師、隅田川 浪五郎に江戸幕府から発せられ、民間の海外渡航が可能とな りました。
当時 パスポートは「御免之印章」などと呼ばれ、写真 の代わりに人相の特徴などが記されていたそうです。
隅田川 浪五郎は渡米後パリ万博に出演して ヨーロッパ中を巡業し、人気を得たそうです。
明治元 (1868) 年にはグアム、ハワイへ 集団移民が行われ、フィリピンをはじめ東南アジア方面への 進出がつづきました。
カナダや米国へ移住した日本人は現地 で排斥運動に遭い、日本からの移民人数は制限されていきます。
明治 41(1908) 年、南米ブラジルへの集団移民が始まり、 昭和初期にはブラジル移民が国策となって約 10 万人が移住し ました。
当時 船賃全額補助などの特典もあり多くの日本人が移住しています。
太平洋戦争が始まると日系人は敵性外国人と見なされ、 米国やカナダでは強制立退命令を受け、その多くは強制収容所 に抑留されました。
戦前、移民の多くは出稼ぎを目的としてい ましたが、しだいに日本人は移住先に定着し、国や地域の発展 に寄与するようになっていきました。
ブラジルでは「ジャポネ ス ガランチード / 日本人は信用できる」と言って、日系人は 国民から厚い信用を獲得しています。
和歌山市民図書館移民資料室では、海外へ移住した日本人に関する資料を収集・整理し、 国内外から調査・研究等に利用いただいています。
移民資料室の設置目的
①海外へ移住した日本人に関する資料を主に収集・保存し、日本人移民の歴史を後世に伝えていく
②歴史的に日本人移民は海外では少数派(マイノリティ)となって差別や迫害に苛まれたことに鑑み、移民資料を人権と平和を訴える資料と位置づけていく
③近年在留外国人が増えている現状(2019 年末で 293 万人余り:法務省発表)において、日本人移民の歴史を伝えることにより、特に若 い人たちに国際理解を深めてもらう
④日本人移民の動向は近代日本史の大きな史実であるが 学校の教科書等に取り上げられることは少なく、資料を使って学校の児童・生徒に 日本人 移民の歴史を伝えていく
⑤和歌山県は国内で有数の移民の送出県であり、「移民」を郷土の重要な歴史として位置付けていく
和歌山県の移民
和歌山県から海外へ移住した人数は、和歌山県発行『和歌山県移民史』 (1957 年発行 ) によると、1957 年までで約 2 万2千人と記されています。
1872 年には池田村(現在の紀の川市)の伊達多仲(だてたちゅう)が米国 に渡航し、那賀地方を中心に米国へ渡航する人が増えていきました。
和歌山市からは、西亀之助が 1888(明治 21)年に渡米し、これに続いたのが、 晩年に大和コロニー建設に参画した皆部梅太郎でした。
カナダ移民は日高郡 美浜町三尾の工野 儀兵衛によって始められました。
南紀からはオーストラリ ア移民が多く、現地では和歌山県出身者が過半数を占めていたと言われてい ます。
串本周辺からは、中筋五郎吉らがハワイへ移住し漁業で成功しています。
東牟婁郡太地町からは米国西海岸のターミナル島への移住がすすんでいます。
このほか、和歌山県からの移民はメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、 パラグアイなどの中南米をはじめ、東南アジア、ニューカレドニア、満州など 世界各地広範囲に及びます。
また、移住先では指導者(リーダー)となる先人が多く輩出しています。
ヘンリーさんが持っておられた収容所の絵画(キャンプシーンと呼ばれる絵画)、収容所の当時の生活・風景は大反響を呼びました。
日本人は移住先では少数派で白人から差別を受けたり攻撃を受けたりして肩身の狭い思いをして苦難、苦労を重ねてきた歴史がありますが その地域の発展、経済の発展に貢献しています。
そういった日本人の移民の姿を伝える大事な資料として 特に戦争中に日本人がどういう運命を被ったか 美術品なんですが 当時の様子を伝える資料としても大変貴重なもので
当時公開された36点の絵画の他 スケッチ画を合わせて計54点がそっくりそのまま和歌山市に寄贈され 現在は和歌山市の博物館に保管されています。